親父の言葉で引退する腹が決まりました
05年の9月の終わりに巨人の球団代表から戦力外通告を受けた僕は、引退するか、他球団で野球を続けるか、二者択一の決断を迫られました。
球団から与えられた猶予は3日間。しかし、いくら考えても結論が出ません。事情を知った野球界の仲間や先輩方は一様に「ジャイアンツの元木で終わった方がいい。一筋で頑張ってきたんだから」とアドバイスをくれる一方、若い頃からかわいがっていただいた志村けんさん、中山秀征さんら球界以外の先輩や友人は「ユニホームが変わっても応援する。まだまだできるよ」と励ましてくれる。どっちのアドバイスも胸に響くものだけに、いよいよ悩みが深くなりました。ちょうど、妻のおなかに初めての子供が宿り、翌年の1月が予定日だったということも苦悩の種になりました。野球をやっている姿を見せたい。そんな思いも広がるのです。
「結論は出ましたか? 返事を聞かせて下さい」
戦力外通告から3日目の約束の日、電話口から無機質な声で尋ねてくる当時の球団代表にお願いし、「じゃあ、あと3日待ちます」とリミットを延ばしてもらった直後のことでした。