親父の言葉で引退する腹が決まりました
数日前には「まだまだできるだろう」と言ってきた大阪にいる親父が、「十分やったんじゃないか。苦労してジャイアンツに入って、まさか15年もできるとは思ってなかった。立派じゃないか」と電話をかけてきたのです。子供のころ、怖くて怖くて仕方がなかった親父に「立派だ。お疲れさま」と言われた瞬間、肩の荷が下りるように全身の力が抜けました。改めて相談した妻にもねぎらってもらったことで、引退する腹が決まりました。
その間、西武や楽天などから声をかけていただき、オリックスはシニア・アドバイザーになられた故・仰木彬前監督から直接、「清原と一緒にオリックスに来い。地元の大阪、関西を盛り上げようや」と電話をもらいました。仰木さんとはなにかと縁があって、初めてお会いしたのは僕がまだ上宮高3年時。たまたま乗った電車に、なぜか報道陣を引き連れた当時近鉄監督の仰木さんがいらっしゃり、「おまえ、上宮の元木やないか。頑張れよ」と声をかけてもらったのです。その仰木さんに断りの電話を入れ、野球への未練を断ち切りました。(つづく)
▽もとき・だいすけ 1971年12月30日生まれの43歳。大阪府出身。上宮高時代に甲子園に3度出場し、歴代2位タイの通算6本塁打を放つ。89年のドラフト1位でダイエーに指名されるも、入団を拒否してハワイに野球留学。翌90年ドラフトで巨人から1位指名を受けて入団。長嶋監督が「クセ者」と呼んだ野球センスを武器に一時代を築いた。05年オフに引退し、現在はタレントとしても活躍する。通算成績は1205試合に出場して打率.262、66本塁打、378打点。