著者のコラム一覧
元木大介タレント・野球解説者

1971年12月30日、大阪府豊中市生まれ。上宮高時代に甲子園に3度出場し、歴代2位タイの通算6本塁打を放つ。89年のドラフト1位でダイエーに指名されるも、入団を拒否してハワイに野球留学。翌90年ドラフトで巨人から1位指名を受けて入団。長嶋監督が「クセ者」と呼んだ野球センスを武器に一時代を築いた。05年オフに引退。通算成績は1205試合に出場して打率・262、66本塁打、378打点。

厳しかった親父の愛のムチ

公開日: 更新日:

「エラーしたあとのあの態度はなんだ!」

 バチン。

「なぜ最後までボールを追わなかった!」

 ガツン。

「おまえ一人で野球をやってんじゃないぞ!」

 ボコッ。

 そんな感じでしたから助手席で親父の説教に生返事を繰り返しながら、「青になれ」「赤になるな」と先の信号を見ては念じていました。歩行者用信号が点滅したときは、親父の右足に向かって「アクセルを踏め」と念を送ったほどです。

 今となっては「愛のムチ」と感謝できるそんな親父の厳しい指導もあって、自分で言うのもなんですが、小学校6年のときには4番でピッチャー、大阪でもそれなりに名が通る選手になりました。

 上宮高校への進学が決まったのも、実は中学2年のときです。上宮のコーチだった田中秀昌さん(のちに上宮監督=現近大監督)に評価してもらい、声をかけていただきました。同時にちょうどジュニアホークス出身の先輩がセンバツ甲子園に出場し、「一緒にやろう」と誘われたのです。当時は大阪の高校といえば、PL学園と浪商(現大体大浪商)くらいしか知りません。中でも清原和博さん、桑田真澄さんが高校3年になったPL学園の全盛期。ボクも大阪予選から試合を見にいっては、「あっ、桑田や」「おっ、清原、でけえ」とスタンドで興奮していたクチです。

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    べた褒めしたベッツが知らない、佐々木朗希"裏の顔”…自己中ぶりにロッテの先輩右腕がブチ切れの過去!

  2. 2

    バント失敗で即二軍落ちしたとき岡田二軍監督に救われた。全て「本音」なところが尊敬できた

  3. 3

    巨人今季3度目の同一カード3連敗…次第に強まる二岡ヘッドへの風当たり

  4. 4

    巨人・田中将大“魔改造”は道険しく…他球団スコアラー「明らかに出力不足」「ローテ入りのイメージなし」

  5. 5

    国民民主党は“用済み”寸前…石破首相が高校授業料無償化めぐる維新の要求に「満額回答」で大ピンチ

  1. 6

    佐々木朗希いったい何様? ロッテ球団スタッフ3人引き抜きメジャー帯同の波紋

  2. 7

    「今岡、お前か?」 マル秘の “ノムラの考え” が流出すると犯人だと疑われたが…

  3. 8

    佐々木朗希を徹底解剖する!掛け値なしの評価は? あまり知られていない私生活は?

  4. 9

    大阪・関西万博の前売り券が売れないのも当然か?「個人情報規約」の放置が異常すぎる

  5. 10

    僕に激昂した闘将・星野監督はトレーナー室のドアを蹴破らんばかりの勢いで入ってきて…