もともと力を持ってた照ノ富士だから抜け出た
新大関・照ノ富士を生んだ伊勢ケ浜部屋は今、勢いがある、といわれている。横綱・日馬富士を筆頭に安美錦、宝富士、誉富士とタイプの違う幕内上位陣が顔を揃えていて、そこに新大関・照ノ富士ときたから“黄金時代”と評するスポーツ紙もある。相手に困ることなく充実した稽古を積むことができる環境も新大関誕生の背景としてあった、というのだ。
若貴を生んだ二子山部屋や武蔵丸が育った武蔵川部屋など、その時代、その時代で隆盛を極めた部屋があり、現在の伊勢ケ浜部屋にもそんな雰囲気があるといわれている。それを武蔵川親方に聞くと、彼はニヤリと笑って「昔のウチの部屋と比べちゃダメだよ(笑い)。違うもん」と言いつつ、語り始めた。
「照ノ富士は、もともと力持ってたよ。ただ、そこから抜けるかどうかが問題なんだ。(13年3月場所限りで閉鎖された間垣部屋から)伊勢ケ浜部屋に移ったことで稽古相手が増えて。それも、幕内上位のタイプの違う人たちで……ライバルができて、そこから始まったんじゃないかな。
勢いのある部屋って元気なお相撲さんが多くて、稽古量が多い人がいっぱいいるんだよ。目の前、同じ部屋の中に稽古相手がいっぱいいる。で、体が大きいの、小さいの、技を持ってるやつ、押し相撲、四つ相撲……いろんなタイプがいる。だから出稽古に行かなくてもいい。環境がいいんだよ。