少年時代の師範 柔道“康生2世”羽賀龍之介の成長を実感
リオ五輪男子柔道100キロ級代表の羽賀龍之介(25)はこれまで、苦難の連続だった。
東海大相模高1年時に金鷲旗大会で史上初の20人抜き。同じ内股という絶対的な武器を持った同校の先輩、井上康生(現日本代表監督)になぞらえ、「康生2世」「日本エースの後継者」と一躍、注目を浴びた。
が、東海大に進学後の12年に脱臼を繰り返していた左肩にメスを入れてからは、国際大会で不振が続いた。数々のメダリストを輩出してきた花形階級のエースになるはずだった男は、低迷する重量級の象徴的な存在に。一昨年8月の世界選手権では、「メダルが期待できない」との連盟の判断で同級の選手派遣が見送られるという史上初の屈辱を味わい、同年12月のグランドスラムでは男女14階級で唯一のメダルなしに終わった。
「そうした故障や挫折があって今の彼があると思います。苦労を無駄にしない頭の良さと真面目さがありますから」
羽賀が中学を卒業するまで練習を積んだ、「朝飛道場」の朝飛大館長(53)がこう続ける。