同郷力士に慕われる玉鷲が起こした「ガラス破壊事件」
相撲どころか、スポーツ未経験。それが徐々に番付を上げ、今や関脇だ。
もともと母国モンゴルではホテルマンを目指しており、モンゴル食料技術大学に入学。転機となったのが、東大大学院に留学していた姉の存在だ。
玉鷲は03年に初来日。モンゴル人力士らが活躍していた時期なので、「自分もこの体格を生かして相撲で活躍できれば……」と悩んでいたという。そこで来日して姉と両国界隈をぶらぶらしていると、偶然にも当時幕下だった鶴竜とバッタリ。そこで鶴竜に旭鷲山の連絡先を教えてもらい、片男波部屋を紹介してもらった。19歳の時だ。
モンゴルでは特にスポーツをやっていたわけではない。それがゆえに他競技出身者にありがちな癖もなく、すんなりと教えを吸収。入門2年目には幕下に昇進した。
84年生まれの32歳で、日馬富士とは同級生だ。
「日馬富士は『何日にどこそこで飲むぞ』と率先して音頭を取るタイプだが、玉鷲は真逆。呼ばれれば行くが、自分から飲み会を招集することはない。オレがオレがという性格ではないので、同郷の力士には慕われている。モンゴル人力士はゴルフが好きで、よく仲間内で集まってコースを回っているが、玉鷲はほんの付き合い程度。腕前?彼らの中でもワースト3には入りますね」(部屋関係者)