国学院栃木監督がうつ病経験明かす 指導法に悩み2年休む
■今は“二刀流”が当たり前
――転機は?
「実は大きな病気をして、2年間ほど仕事を休んでいた時期があります。うつ病です。入院もしました」
――原因は?
「高校時代に甲子園に出させてもらった。そこから母校の監督になった。野球はこうあるべきだという恩師の教えがあって甲子園に導いてくれた。それが間違いないという確信がありましたが、生徒と私の思いが一向に噛み合わなくて……。過労で眠れない日々が続き、不協和音も聞こえてきて倒れてしまったんです」
――いつですか?
「復帰して6年になります。その際にリハビリで野球以外の方々から話を聞いたり、芸術に触れてみたり、違う感覚、観点、価値観をもらって野球に生かせないかと考えるようになりました」
――東京、神奈川、新潟など県外出身の選手が半数弱を占めています。
「作新は栃木の子しか取らない。ウチのスカウトははっきり言って弱いですよ。それでも来てくれるようになったひとつは、時代の流れがあると思います。“甲子園に絶対に行きたい”という生徒と、“甲子園は行きたいけど、ちゃんと勉強もやって大学も行って”という将来のビジョンがある生徒では、後者の方が多い。運動と勉強、音楽と野球とか、今は“二刀流”が当たり前ですから」