金足農・吉田の881球を「酷使」と簡単に否定はできない
あれは、2013年のことだった。知人を介して、米国人ジャーナリストから取材の依頼があった。その年春のセンバツ甲子園で、愛媛・済美高校の2年生右腕、安楽智大(現楽天)が772球を投げて物議を醸していた。それについて、「ミスター権藤の意見を聞きたい」というのだ。
済美が準優勝したそのセンバツで、安楽は全5試合に先発。見ていて、私は気の毒に思っていた。
日本球界の宝になり得る逸材の芽を、酷使によって摘んでいいのか。名古屋で会った米国人ジャーナリストの取材にも、「周りの大人が止めてやらんと。指導者が『これ以上は投げさせん』と、ストップをかけてやるべきだ」と当初はそう答えた。
だが、意見を交わしているうちに、“私の考えは単なるきれい事ではないか”という疑問が頭をもたげてきた。
高校球児のほとんどは甲子園出場を最大の目標にし、一試合でも多く勝ち、一日でも多く聖地でプレーすることを望む。大学や社会人、そしてプロで野球を続けたいという希望や夢はあっても、それは甲子園の先にある余得にすぎない。県の代表としての誇りを胸に、学校や地元の期待を背負って、今その時を夢中で戦っている選手がほとんどなのではないか。