僕が救われたラミレスさんの口グセ “Today is a new day”
引きずっていてはダメだ。今日の試合、とにかく思い切って振ろう――。そう思って臨んだ中日戦、僕は全打席でできる限りのフルスイングをしました。3打席目。がむしゃらにスイングした打球がショート後方に上がります。落ちてくれ――。祈る気持ちでした。レフトとの間に打球はポトリ。34打席ぶりに「H」の赤いランプがともりました。
■「君はスタメンを勝ち取った」
そんなことがありながら、僕はその年、初めて、二塁手部門でベストナインを受賞できました。ラミレスさんのアドバイスがなかったら、取れていなかったかもしれません。
それから10年。DeNAに移籍して、ラミレスさんを「ラミレス監督」と呼ぶことになります。
移籍1年目の17年、僕は一軍キャンプに呼ばれました。キャンプ中盤、ラミレス監督から特守の指令を受けました。右へ左へノックの嵐。30分くらいで終わると思ったら、1時間以上も続きました。ヤクルト時代の最後の2年間は二塁から離れ、主に外野を守っていました。内野手としてのリズムを取り戻そうとボールに食らいつきました。ユニホームにへばりついた土のにおいに、本能が呼び起こされる気がしました。