過去の価値観や根性論を引きずる学生スポーツの時代錯誤
テニス、高校野球、箱根駅伝といった戦前からの学生スポーツはそのまま継続されてきた。戦前の中学生と戦後の高校生では、年齢も体の成熟度、教育水準、育ちも世間の評価もまるで違う。その中身を省略して継続回数と記録だけ横並びに比較することで、おかしな流れになった。
夏の甲子園の岩手大会決勝で大物右腕の大船渡・佐々木朗希を登板させなかったことで議論が百出している。4回戦の投球数が194球は確かに異常だ。世界のジュニア野球では当たり前の球数制限を導入できないのは、しかし、投球数が問題ではないからだ。
関根潤三さん(92=法大)は、自分の時代が東京六大学のピークだったという。日本の野球の頂点は東京六大学から巨人に移り、いまやその天井も抜けて大リーグへの道が整った。それをあおる一方で、過去の価値観、根性論を引きずって学生大会が運営されている。大人が答えを出さず宿題を若い肉体に預けている。
ディエゴ・マラドーナは日本の少年サッカーの練習を見て驚いた。