金田正一さんは繊細で情に厚い人だった…山崎裕之氏が悼む
あれは1973年1月中旬、金田監督の就任1年目のこと。
ロッテは当時、西川口の川口球場で自主トレをしていた。ボクが同僚と体を動かしていたそのときだ。
バタバタバタ……。上空でものスゴい爆音がしたと思ったら、外野付近に1台のヘリコプターが降りてきた。
ボクもナインも何が起きたのか分からずにキョトンとしていると、ヘリコプターの中から金田監督が出てきたから、その場にいた選手たちは仰天した。新監督はヘリコプターに乗って自主トレを視察しに来たのだ。
厳しい監督だった。2月の鹿児島キャンプでは、とにかくよく練習した。ボクは当時、主力だったが、それでも夕食時にグラウンドにいたことは一度や二度ではなかった。
食を大切にした。キャンプ中の食事は前年と比べて、はるかに豪華なものになった。猛練習で食事がノドを通らない選手が続出すると、金田監督は厨房の責任者に掛け合ってメニューを工夫させた。
体調管理にもこだわった。トレーナーの数を倍くらいに増やし、選手には体調を整えることの大切さを説いた。夏場でも新幹線や飛行機に乗るときは必ず長袖を一枚用意しなさいと言った。冷房で体を冷やさないようにするためだ。