黒江透修氏が野村克也氏を追悼 92年日本シリーズの教訓
野村克也さんがヤクルトの監督として初めて日本シリーズに出場したのは1992年。私がヘッドコーチだった西武との対戦だった。3連覇を狙う西武の森祇晶監督と野村さんは、高卒で同じ捕手出身。苦労してプロ野球選手になった境遇も似ていることから、プライベートでは仲が良かった。
ところが、頂上決戦を前に、冷静沈着な森監督がいつもと違う。野村さんに負けたくないという意識が強く、いつもなら「クロ、やっておいてくれ」という簡単なミーティングなども陣頭指揮をとった。
野村さんも1学年後輩の森さんへのライバル心は旺盛で、野球を知り尽くす2人のベンチワークは大いに注目された。西武が王手をかけた後の第5戦からの3試合は延長戦となり、球史に残る熱戦となった。延長十回、西武は秋山の犠飛で2-1と勝ち越し、これが西武の決勝点となり3連覇を成し遂げた。
今は当たり前のように球界で使われている「ギャンブルスタート」は、実はこの試合がきかっけで野村さんが考案したものだ。
確か七回裏のヤクルトの攻撃だったと思う。一死満塁で野村さんは代打に杉浦を起用。その打球を二塁手の辻が好捕し、三塁走者広沢を封殺した。広沢は杉浦のライナーを気にしてスタートが遅れて本塁に帰れなかった。