松坂が「生きた教科書」とは失礼な話 バカを言いなさんな
3年前のちょうどこの時期だ。WBC日本代表の投手コーチを仰せつかった私は、侍ジャパンに選出された選手を視察するため、12球団のキャンプ地を巡った。
「すごいじゃないか。いいボールを放っとる。WBCの開幕戦、頼むぞ」
ソフトバンクの球場に足を運び、そう声をかけた相手は、代表エース候補だった千賀――ではない。メジャーから日本球界に復帰して3年目、それまでのソフトバンクでの2年間で1試合しか一軍マウンドに立っていなかった松坂大輔(39)である。話をしている横から、同級生左腕の和田毅が口を挟む。
「権藤さん、ボクはダメですか?」
「肩肘に問題がないのなら、呼ぶ。でも、残念ながらオレはコーチで、権限がない。オレが監督だったら、松坂と一緒に呼ぶんだけどな」
横で松坂は笑っていたが、半分は冗談、半分は本気だった。
右肩の不調があったとはいえ、当時からきちんとした働き場所を与えさえすれば、松坂はまだまだやれると思っていた。翌2018年、中日に移籍して6勝(4敗、防御率3・74)を挙げてカムバック賞を受賞。周囲は“いい意味で予想を裏切った”という雰囲気だったが、私は当然だと思っていた。中日は松坂の体調を気遣い、登板間隔を空けて起用したが、そんな余計な配慮をしなければ、「勝ち星はもっと伸びたのに」と思ったくらいである。