関根潤三さん大往生 巨人で見せなかった“もうひとつの顔”
ただ、それは表の顔で、『球界の寝業師』と呼ばれた根本陸夫さんから生前、こう聞いたことがある。根本さんと関根さんは高校、大学の同級生。法大では安藤昇さんも一緒だった。のちに安藤組組長となる裏社会の大物です。学生時代は3人でよくつるんでいたそうですが、根本さんは『最も悪かったのが関根。怒らせたら一番怖い』と言うのです。巨人では長嶋監督の黒子に徹し、気性の激しさを隠していたのでしょうね」
大洋(現DeNA)監督に就任して3年目となる84年には、自らの後任に80年限りで巨人監督を退任し、“浪人中”だった長嶋茂雄氏の招聘を画策。秘密裏に根回しを進めたのは、知る人ぞ知る話である。結局、長嶋大洋監督は実現しなかったが、好々爺然とした振る舞いとは別の一面があったということだろう。
訃報を受け、巨人の長嶋終身名誉監督はこうコメントした。
「私が初めて監督になった1975年、ヘッドコーチとして支えてくれました。とても温厚な人柄で、みんなに慕われたあたたかいヘッドコーチでした。大洋、ヤクルトと監督を務め、日本の球界を引っ張ってこられた貴重な方を失い、残念でなりません。ご冥福をお祈りいたします」