フェンシング千田健一さん「職場に戻ると仕事がなかった」
千田健一氏(フェンシング・63歳)
千田氏がボイコット決定の知らせを受けたのは、茨城県高萩市での代表強化合宿の最中だったという。
「今でこそ日本はメダルを狙える位置にいますが、あの頃は違いました。だから私にとって五輪に出ることが最終目標で、それを目指してずっとやってきました。ようやく、目標が達成されるはずだったので、喪失感は大きかったです」(千田氏)
心の整理がつかないまま、大学卒業後に赴任した栃木県内の高校に職場復帰したものの、そこでは冷や飯を食わされた。
■23歳で窓際族に「新聞を読むか、お茶をすするか」
「戻ってみたら私の穴を埋めるために既に別の先生が派遣されていました。だからやることがないのです。一日中ボケッと新聞を読むか、お茶をすするか。23歳にして約2カ月間も窓際族を経験しました。周りも私にどう言葉を掛けていいのか難しかったでしょうし、つらかったです」(千田氏)
まだ23歳。年齢的に1984年のロサンゼルス五輪を目指すのは不可能ではない。この時、千田氏は、栃木県で教員を続けながら再び五輪を目指すか、故郷の宮城県へ戻って教員としての人生を歩むべきかの岐路に立たされた。いずれは宮城に帰るつもりだったが、ロス五輪後では、年齢制限(28歳)のある宮城県の教員採用試験は受験できない。悩み抜いた末に後者を選んだ。
「今後の人生を考えると教員として過ごす時間の方が長いですから。ところが、地元へ戻っても気持ちが晴れることはありませんでした。指導者として教えているときも『自分の本当の居場所はここじゃない』という鬱憤を感じていました」(千田氏)