女子バレー悲運のセンター・池知晶代氏 幻は一生悔い残る
池知(現・竹島)晶代(女子バレーボール)
女子バレーボールは、かつて向かうところ敵なしだった。
1964年の東京五輪でバレーボールが正式種目となり、金メダルを獲得した当時の女子チームに付けられた異名は“東洋の魔女”。
その勢いは衰えることなく下の世代へと受け継がれた。68年メキシコ五輪、72年ミュンヘン五輪では銀メダル、76年モントリオール五輪では再び表彰台の真ん中に立った。しかし、金、銀、銀、金と積み重ねてきた記録は、モスクワ五輪ボイコットによって途絶えた。
「まだ当時の気持ちに整理がつきません。40年経った今でも完全には忘れられないです。オリンピックが近づくとあの時のことをどうしても思い出してしまいます」
日本代表ではセンター(ミドルブロッカー)だった竹島氏(旧姓・池知)は、こう明かす。
中高一貫の土佐女子中学への入学当初に身長が168センチあったため、バレー部監督の目に留まり竹島氏の競技人生は幕を開けた。当初は運動など全くしたことがなかったため、軽い気持ちで入部した。