<2>19歳で日本代表デビューも「別に普通の試合と一緒」
「ウッチーは(清水)東高の中でも非常に実力と人気がある後輩のひとり。まだまだ若いし、多方面で活躍できるスター性を持っている。活躍を楽しみにしたいです」。23歳離れた先輩の長谷川健太FC東京監督が絶賛する通り、内田篤人は名門・清水東から鹿島入りし、それから海外に渡っていく<サッカー界の王道>を歩んだ。日本代表デビューも19歳。まばゆいばかりの輝きを放っていた――。
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内田篤人が表舞台に初登場したのは、2004年9月のAFC U―16(16歳以下)選手権(静岡・藤枝)だった。布啓一郎監督(現・松本山雅監督)率いるU―16代表の右MFを務めたのが、当時、清水東高2年の彼だ。そのスピードは群を抜き、現場で取材した筆者も「彼は将来有望」とひと目で分かった。
複数のJクラブが獲得に動いたが、06年入団組の右SBは、早稲田大の徳永悠平(長崎)が1番人気だった。鹿島はいち早く内田にスイッチし、熱烈アプローチで獲得に成功した。
「俺、最終的に新潟と鹿島で迷ったんだよね。新潟の監督は(清水)東高先輩のソリ(反町康治=現日本サッカー協会技術委員長)さん。あの頃はメッチャ怖かった」と内田は苦笑する。最終的に<サッカーに集中できる環境>を優先。常勝軍団の一員に加わった。その高卒ルーキーの才能を高く買ったのがアウトゥオリ監督。開幕・広島戦に抜擢された内田は17歳で衝撃的デビューを飾る。07年から3連覇のオリベイラ監督も「若いのに戦術的なミスがない」と絶賛。絶対的な信頼を寄せていた。