インディアンスにロッテ…最初に手を挙げた球団を選ぶ根拠
クリーブランドはアメリカ北東部、カナダと隣接するオハイオ州の都市です。インディアンスと契約するため、僕は2007年11月に初めてこの地を踏みました。非常に寒く、当日は雪が降っていた印象があります。FA移籍に際して、日本の球団からの誘いを待つという選択肢もありました。でも、なにより真っ先にインディアンスが手を挙げてくれたことがうれしかった。
ロッテに入団した時もそう。日体大を卒業後、東京ガスに入社。プロ入りを目指した当時もさまざまな球団からお話をいただきましたが、一番最初に声をかけてくれたのがロッテの水谷則博スカウトでした。
水谷さんは主にロッテで先発、中継ぎとして活躍。1974年には中継ぎとして日本一にも貢献されました。82年にはリーグ最多の20完投というケタ違いの活躍もされています。
僕がドラフトで指名された98年は、松坂大輔を筆頭に、上原浩治、福留孝介、藤川球児、新垣渚らが1位指名。2位も二岡智宏、岩瀬仁紀ら、そうそうたる顔ぶれがプロの門をくぐった年です。
僕は近鉄から「上原か君を1位指名で考えている」と言われ、ある球団には「今年のドラフトは豊作過ぎるからプロ入りは1年待ってくれ」と打診されましたけど、当時すでに24歳。年齢的な事情もあり、お断りしました。