巨人坂本が2000安打 高校時代の恩師・金沢監督が独占激白
巨人の坂本勇人(31)が8日、ヤクルトのスアレスから左翼線二塁打を放ち、史上53人目の通算2000安打を達成した。巨人の生え抜きでは川上、長嶋、王、柴田、阿部に続いて6人目。31歳10カ月での到達は1968年榎本喜八(東京)の31歳7カ月に次ぐ歴代2位の年少記録で、右打者では歴代最年少となった。試合後、お立ち台で「高校の恩師・金沢監督に感謝したい」と挨拶。その光星学院高(現・八戸学院光星=青森)時代の恩師で、現在は明秀学園日立(茨城)の金沢成奉監督(53)が「あの頃は闘いでした。感慨深いですね」と日刊ゲンダイに独占激白した。
■ヤンチャな子は“更生学院”の金沢に預けろ
――10月30日のリーグ優勝を決めた試合、この日も生で観戦した。
「巨人に入ってから一度も見たことがなかったんです。あのヤンチャなガキ大将が、まさかここまでの選手になるとは……。夢はかなうんやなと。勇気、希望をもらえます。坂本から『光星に行って本当に良かったです』と電話があって、うれしかったですね」
――出会いは?
「光星が2003年夏の甲子園に出た時、母校・東北福祉大のOBから『伊丹シニアの坂本という子をどうしても見て欲しい』と頼まれたんです」
――感想は?
「線は細かったけど、上背があってバットコントロールが巧み。身のこなしが柔らかく、守備もハンドリングやスローイングが良かった。力感がなくて、しなやかさの中に強さがある。まるでイチローのような感じ。『プロに行く子だな』とピンときました。ただ、かなりヤンチャだというんです(笑い)。当時『ヤンチャな子は“更生学院”の金沢に預けろ』と言われていたので、私に声がかかったんでしょうね」
――それでもいいと。
「私はヤンチャな子が好き。『絶対にプロ野球選手になれるぞ』と誘いました。本人はそう思っていなかったみたいだけど、当時の坂本は家庭の事情で、寮がある高校でしか野球が続けられないということだったので、来てくれたんだと思う。私は3年間、野球部クラスの担任でもあったから四六時中一緒。闘いでしたね」
――闘いとは?
「最初の頃は授業態度も良くなくて、勝手に席替えをしたり。職員室に呼んで『プロに行ったとしても、野球以外のこともしっかりやらんヤツは一流になれんぞ』と諭すと、『そんなわけないやろ』とふてくされる。職員室でよく正座をさせました。大人を斜に見ていて信じていない子だった。私は毎回真剣に怒りました。坂本にとっては初めてだったかもしれません。こんなにうるさくて“うざい”大人は」
――野球の練習はマジメにやっていた?
「負けず嫌いで、覚悟を決めて来ているので、練習をサボることはありませんでしたが、エネルギーがあり余っていて、ノックを『死ねボケ!』と言いながら返球してきたり(笑い)。当時は『とりあえず甲子園に行ければいいや』という感じでした。でも、その程度の覚悟じゃ、ウチの練習は持ちません」