巨人坂本が2000安打 高校時代の恩師・金沢監督が独占激白
鼻にピアスして現れた坂本に「野球部辞めろ」と一喝
――ターニングポイントがあった。
「1年の冬です。1回だけ『もう辞めたい』となった時がありました。1年間で実家に帰れるのは、正月の1週間だけ。その時に久しぶりに地元に帰って、高校生活を楽しんでいるかつての仲間と遊んだら、かっこ良く見えたんでしょうね」
――帰ってこなかった?
「期日に寮に戻ってきましたが、鼻にピアスをしていて僕の目の前に座った。『ああ、こいつは俺にブン殴らせて辞める気や』と思いました。でも、そんなの許しません。部屋に呼んで『辞める覚悟で来ているな』と聞いたら『はい』と言うから『それなら辞めろ。空港まで送ってやるから帰れ』とすぐに荷物をまとめさせて、その日のうちに兵庫に帰しました」
――そのまま辞めてしまっても構わないと。
「いや、一方で坂本の父親に電話をして『あいつは野球しかない男です。僕が辞めさせません』と言いました。そして、地元の友達から『野球を辞めてこれからどうするんや?』と坂本に言ってもらうように頼み、『そうすれば、あいつも気がつくと思います』と親に伝えました。すると、1週間後に鼻のピアスを外して八戸に戻ってきた。それ以降は別人のように野球に打ち込むようになりました」
■巨人入りを決めた高2夏県決勝での一発
――プロに注目されるようになったのは?
「2年夏の県大会決勝で、その年のドラフトでロッテから1位指名される青森山田の左腕・柳田君からバックスクリーンへホームランを打ったんです。それを実際に見ていたのは巨人の大森スカウトだけだった。3年春の東北大会で打率8割以上(・813)をマークしてプロ入りは間違いないと確信しました。大森さんが一番熱心で、巨人が(外れ)1位で指名してくれたのはあのホームランを生で見ていたからだと思います」
――ここまでの選手に成長した要因は?
「反骨精神でしょうね。あの年はマー君(田中=ヤンキース)、マエケン(前田=ツインズ)がいて、ハンカチ王子(斎藤=日本ハム)世代ともいわれた。巨人も堂上君(中日)を1位で指名したわけで、当時は彼の方が評価が高かった。もともと負けず嫌いで我が強い。それがエネルギーになったと思います。でも、まだ通過点。あと10年間はやって欲しい。3000安打を目指してもらいたい」
(聞き手=増田和史/日刊ゲンダイ)