巨人5冠達成の日 私は「お世話になりました」と部屋を出た
清武GMは前年11月に「清武の乱」で解任されており、球団に話は伝わっていないようだった。私はサインをせずに部屋を飛び出した。もともと日本一になれなかったら、コーチは責任を取るものだと覚悟は決めていた。
ホテルのサウナに入っていると、原監督が入ってきた。球団から話を聞いたのかもしれない。
「どうだった?」
「球団に無理だと言われました。でも恩返しはできました。ありがとうございましたと伝えて部屋を出ました」
「ちょっと待って。早まるな。俺から球団に話をするから」
■原監督の進言でさらに500万円アップ
このまま退団でも仕方ないと思う一方、期待する自分もいた。しかし、球団から連絡はなかった。もうダメだと思っていた11月末の納会の日、原沢GMに別室に呼ばれた。
「来年も頼みます」と見せられた額は、前回の100万円アップからさらに500万円も上乗せされ、中日コーチ時代を上回るものになっていた。