菅野の父親に県大会決勝の先発辞退を直訴するよう勧めた
その後、伯父の原監督、父親と同じ東海大相模に進学すると、私の長男・夢有希も1年後に同校に入学。一緒に試合に出るようになる。菅野が3年夏、2007年の神奈川大会決勝で忘れられない思い出がある。
■東海大相模には菅野の他に力のある投手が2人いた
菅野は前日の準決勝で、「事実上の決勝」といわれた横浜戦で168球を投げて完投勝利を収めていた。横浜スタジアムの体感気温は50度にまで上がる。菅野は将来がある投手。プロ目線からいえば、連投は無理だし危険だ。決勝は先発しない方がいいと思った。
ただし、私が反対した理由はそれだけではない。もし決勝も菅野が先発した場合、疲労の状態から、能力の半分も出せないだろう。どうせ打ち合いになる。私が見る限り、東海大相模には他に力のある投手が2人いた。終盤まで菅野を温存し、最後の3イニング、つまりクローザーをやってもらう。甲子園に行くならこれしかない――。が、門馬敬治監督の立場からすれば、エースが先発を回避して負けることだけは避けたい。「エースで負けたら仕方ない」と考えるのが普通だ。だから私は本人が「先発は無理です」と監督に直訴するよう、隆志氏に伝えた。「勝つための最善策だから」と言っても、父親だけに「いや、でも最後だし……」と歯切れが悪い。
「智之が後ろにいることで相手は嫌だろうし、その戦略で十分勝てるから、甲子園でまた投げられるよ」
そして、迎えた桐光学園との決勝戦。スタメンを見た私は失望を隠せなかった。