ボロボロの菅野は決勝で10失点 甲子園には届かなかった
2007年夏の神奈川大会準決勝、「事実上の決勝戦」といわれた横浜戦で、東海大相模のエース菅野智之(現巨人)は168球の完投勝利を収めた。甲子園まであと1勝。しかし、真夏の人工芝上で熱投したことによる疲労度、菅野の将来を考えると、翌日の決勝の先発は難しいと感じた。気温とゲーム展開を読んだ時、先発するより試合の後半にリリーフとして備えさせてもらえないか。私はそう門馬敬治監督に直訴するよう、菅野の父・隆志氏に訴えた。
そして、迎えた桐光学園との決勝戦。先発はやはり菅野だった。
嫌な予感は的中した。東海大相模は2年生の4番・大田泰示(現日本ハム)が先制2ランを放ったものの、疲労困憊の菅野は169球を投げ、13安打を浴びて10失点。8―10の逆転負けだった。ショックだった。長男の夢有希が2年生ながらスタメン出場していたのはもちろんあるが、それだけではない。この時は菅野、大田以外にも、田中広輔(現広島)、友永翔太(元中日)、角晃多(元ロッテ育成)ら、全国制覇も夢ではないと期待していた強力なメンバーが揃っていたのだ。