新人王最右翼の楽天・早川 恩師が語る“ダメ元”からの奇運
■ダメ元で登板
その後、早川は強肩と俊足を生かして外野に転向。ところが、まったくといっていいほどバットで結果が出なかった。
「14年夏の大会後の岐阜遠征で、3日目に雨が降り、予定されていた試合が中止になってしまった。そこで急きょ、対戦してくれるチームはないかと探していたら、岐阜城北さんが『ウチの二軍でいいなら』と快諾してくれた。そこで半ばダメ元で早川を投げさせると、1イニングを無失点。もしやと思って翌日以降も起用したら2イニングを抑え、次は3イニング……と、まったく打たれない。結局この年、早川は失点ゼロ。翌年以降はエースとして活躍してくれました」(五島監督)
同校は15年春、16年春夏に甲子園出場。早川はU18日本代表にも選出された。もし、ライバル校に左腕が豊富でなかったら? 打ちまくって外野に定着していたら? 遠征で雨が降らなかったら? そんな「if」がひとつでも実現していたら、早大へのスポーツ推薦入学や、ひいてはその後のプロ入りもなかったに違いない。