2005年福浦和也の激走でロッテは日本シリーズ出場を決めた
ワンチャンスをモノにした福浦はその後、あれよあれよと3割近い打率をマークし、シーズン終盤には3番に定着。その後は中心選手として大活躍した。昇格してすぐに結果を出す技術力と精神力が、福浦にはあった。
私が監督に就任した2010年には、新助っ人の金泰均が一塁手だったことや、打撃に専念してもらうため、指名打者として起用した。監督室に呼び、「今は指名打者が一番いいポジションではないか」と伝え、了承してくれたが、15年近く守ったポジションを離れるのは本意ではなかっただろう。苦しい決断だった。
01年から06年まで6年連続で打率3割をマークしていたものの、慢性的な腰痛を抱えていたこともあり、欠場するケースもあった。守備による腰への負担を軽減し、打撃に専念することでもう一度、本来の姿を取り戻して欲しかった。その年、指名打者部門でベストナインを獲得した時は、本当にうれしかった。
■ソフトバンクとのプレーオフで一発勝負
思い出深いのは、05年のソフトバンクとのプレーオフ第5戦。1対2で迎えた八回1死一、二塁、里崎智也が右腕の馬原孝浩から左中間フェンス直撃の当たりを放った。二走の初芝清が生還。三塁コーチだった私は逆転を狙って、一塁走者の福浦に本塁突入のゴーサインを出した。