レッドソックス時代の11年に右肘のトミー・ジョン手術を受けて以降は故障の繰り返し。14年オフにソフトバンク入りしたものの、3年間で一軍登板はたった1試合に終わった。
救いの手を差し伸べた中日、西武でも一進一退。結局、日本球界復帰後の7年間で一軍のマウンドに立ったのは14試合、古巣西武では二軍での登板もかなわなかった。
小倉氏の耳にも周囲の「晩節を汚すな」との声が届いていたが、「もうとっくに晩節を汚している。誰になんと言われようが、最後までしがみついて欲しい」と復帰に望みを託していた。それが実現しないまま、怪物がグラブを置いた。