反町監督は最終予選中に五輪監督に専念する決断を下した
サッカー日本五輪代表物語 #11
現在JFA(日本サッカー協会)技術委員会の委員長を務める反町康治が、2008年北京五輪の代表監督に決定したのは、2006年5月のことだった。
それまで01年から05年11月までJ新潟で指揮を執り、当時J2だったチームを初のJ1に昇格させた。
当時のジーコ監督率いる日本代表は、2006年ドイツW杯で2大会連続のグループリーグ突破に期待がかかっていた。
しかし、初戦のオーストラリア戦(当時はオセアニア代表)で逆転負けを喫すると続くクロアチア戦は0-0のドロー決着。
第3戦のブラジル戦はFW玉田のゴールで先制するも、エースFWロナウドに同点ゴールを許すとその後も3失点を食らって1-4と敗れ、グループリーグで敗退した。
期待が高かった分、失望も大きかった。
■「オシムって言っちゃった」事件
そしてドイツW杯から帰国したその足で開かれた総括会見で川淵三郎JFA会長は、後任監督について「(五輪代表の)監督はあくまで反町」と規定路線通り、反町監督と正式契約を結ぶことを明言しながら「総監督として『オシム』が……あっ、オシムって言っちゃったね」と次期日本代表の監督候補の名前を漏らしてしまった。