日本人にとっての「多様性」とは? 東京五輪はそれを考える大きな契機に
国自体が他人種、他民族によって成り立っているので、もともと、そのように違う人種間に生まれた子供に対する特別な意識が日本よりはるかに希薄なのだろう。というより、その出自をたどれば、米国人のほとんどが「多様性」に行き着くのではないか。
「日本にはもともと他人種間に生まれた人や外国から帰化した人たちを受け入れてきた歴史はなかった。多様性という言葉の意味を考えたくなかった日本人にとって五輪の点火式に大坂なおみを選んだことは大きな一歩ではあった」
「超高齢化社会を迎えた日本は外国からの労働力に頼らざるを得なくなっている。2020年のデータによれば日本の人口のおよそ2%は日本人ではない。そのような人たちに対する移民排斥や少数派に対する差別が表立って日常で見受けられることは少ないが、それは必ず日本人の中に存在しており、それは時として露骨に浮き上がってくることがある」
「大坂が女子テニス3回戦で姿を消してしまった時、ソーシャルメディアには彼女のアイデンティティーを攻撃する言葉があふれ、ひどいものの中には開会式での勇姿から手のひらを返すように『彼女に日本を代表する資格はない』といった言葉まであった」
東京五輪は日本人にとって「多様性」とは何かを考える大きな契機となるはずだ。
(米紙コラムニスト、ビリー・デービス)