<5>大地の面倒を見る岸和田の祖母から「我慢できん」と怒りの電話が
大阪・岸和田の祖父母宅に暮らしながら、名門・ガンバ大阪の下部組織に通う日々。中学時代の鎌田は、はた目には恵まれていたように見えたが、内情は大変だった。「大分合宿から2~3カ月が経った中1の5~6月でした。『愛媛に帰ってくれ』と大地がおばあちゃんに怒られたのが最初でした。その後、何度かゴタゴタし、中2の時にはいよいよ『もう面倒見られへん』と我々が怒鳴られた。私がスッ飛んで行き、頭を下げて頼み込んだんです」と父・幹雄さんは苦笑する。両親は、距離の離れた所に暮らす思春期の息子とどう向き合ったのか……。
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■12歳の戸惑い
のんびりした愛媛と、気性の荒さで知られるだんじりの町・岸和田とは生活リズムも言葉遣いも違う。12歳の大地は多少なりとも戸惑った。
小学生の頃は食事・洗濯・片付けに加えてサッカーの送迎まで母・貴子さん任せだったが、大阪ではそういうわけにもいかない。本人も「自分のことは自分でしないといけない」という自覚は多少なりともあったはずだが、祖母の求めるレベルははるかに高かった。
「ウチの母は厳しい人で栄養バランスの取れた食事をしっかりと食べたり、家の手伝いをするのは当たり前。それを大地にも徹底していました。でも本人は要求に応えられず、しょっちゅう怒られていたようです。『どういう教育してるんや』『親の顔が見たい』と私自身がお説教を食らうこともよくありましたね」と貴子さんは苦笑する。
祖母のマグマが噴火したのは、冒頭の通り、中2の時。父はこの様子を述懐する。
「おばあちゃんから妻に怒りの電話がかかってきたんです。『大地は何を聞いても生返事で、ご飯もちゃんと食べない。野菜は嫌だとか、お弁当におでんが入っていたのが気に入らないとか、ワガママざんまいで我慢できん。もうムリや』と1、2時間にわたって文句を言われました。これはただ事じゃないと思い、私が一目散に岸和田に向かい、誠心誠意謝りました。結局、そのまま置いてもらえることになった。生きた心地がしませんでしたね」
預かって面倒を見る側の祖母は責任がある分、より厳しく振る舞ったのだろう。ただ、大地側にも言い分はあった。
慣れない土地の中学に通い、片道1時間かけてガンバに通い、厳しい競争にさらされる。精神的重圧は想像を絶するものがあった。その愚痴をこぼす場所もなかったのだから、両親としては胸が痛くなった。
愛媛から大阪へ頻繁に様子を見に行くわけにもいかず
「大地は中学生の時、3回も骨折する羽目になった。中2の途中からはクラムジー(スポーツにおいて体の急激な成長でバランスが崩れるなど不安定な状態)にもなり、本人もしんどかったと思います。それでも、ガンバの練習場には通い続けてました。多少体調が悪くても、熱を出しても休まなかった。その気持ちを考えると、こちらもつらくなりますね」と、2人は申し訳なさそうに言う。
かといって、愛媛から大阪へ頻繁に様子を見に行くわけにもいかない。
会社員の父には仕事があるし、母もジャザサイズというダンスフィットネスのインストラクターを週3回ペースで手掛けていた。しかも、小学生の妹・夏芽さん、弟・大夢君もいる。長男のことは遠くから見守るしかない状況だったのだ。
「大地には勉強もちゃんとやってほしいと思い、岸和田の家に家庭教師の先生に来てもらっていました。小学校時代も学習塾に通っていたし、国語や算数も不得意というわけじゃなかった。その延長線上でやらせたんですが、本人は本当は嫌だったようで、先生への態度が悪かった。おじいちゃんにも怒られていたようです(苦笑い)。そういう失敗を繰り返しながら、何とか3年間を乗り切れた。15歳の大地もずいぶん成長したように感じました。おばあちゃんとも仲良くなりましたね。今は『大地はホンマかわいい』とうれしそうに話してます。遠くに行かせてよかったです」
母・貴子さんは安堵感を吐露する。大地自身もプロ入り後「おばあちゃんにはホントにお世話になりました」と感謝の言葉を口にしている。
可愛い子には旅をさせよ――。鎌田家から学べる教訓のひとつである。=つづく
▽鎌田大地(かまだ・だいち) 1996年8月5日生まれ。愛媛県出身。キッズFC-G大阪ジュニアユース-東山高-鳥栖から2017年にフランクフルトに移籍。昨季トップ下で5得点、リーグ3位の12アシスト。19年3月のコロンビア戦で代表デビュー。同10月のモンゴル戦で代表初ゴール。身長184センチ・体重73キロ。
【父・鎌田幹雄さん】1969年4月生まれ。鳥取市出身。鳥取東高、大阪体育大卒。兵庫・尼崎在住のサラリーマン。
【母・貴子さん】1970年11月生まれ。大阪・岸和田市出身。砂川高から専門学校。兵庫・西宮で「ジャザサイズ」のインストラクター業をフランチャイズで運営。