「僕の肩を見に来ている」新庄君がベンチの前進指示に従わない理由はファンのためだった
長嶋清幸(元阪神選手、打撃、守備走塁コーチ)#1
「肩の強さはズバぬけていましたし、脚力もありました」
日本ハムの新庄剛志新監督(49)の現役時代についてこう話すのは、1994年から97年まで阪神でプレーした長嶋清幸氏(60)だ。
入団当時の阪神は中村勝広監督時代。長嶋氏は、センターの不動のレギュラーとして活躍していた新庄監督と一緒に、ライトのポジションを守った。
■「無駄な体力を使わないで」
「阪神入団時は30代半ば。試合には代打で出ることが多かったですけど、一番覚えているのは、僕がライトの守備に入るとき、『長嶋サン、右中間に飛んできたら僕に任せてください! 無駄な体力を使わないでいいですからね。体がおかしくなっちゃいますよ』って屈託のない笑顔で言われたことですね(笑い)。彼なりの気配りというか心遣いというか。憎めない男です。シートノックの時にはよく、『ツヨシ、頼むぞ!』と声を掛けると『任せてください』って打球を処理してくれた。試合では当時の島野育夫コーチから『外野の中心はセンター』と聞いていましたので、シフトを敷くような特殊なケースを除き、新庄君の動きに応じて両翼が動いていました」
「僕の肩を見に来ているんですよ」
長嶋氏は97年限りで現役を引退。98年から新庄監督が阪神を退団する2000年までの3年間、コーチと選手の関係になった。
「一度、守備について意見をしたことがあるんです」と、長嶋氏が続ける。
「当時は、走者二塁で一打サヨナラの場面など1点もやれないケースでは、走者の本塁突入を阻止するため、3人の外野手が前進し、チャージするようベンチから指示が出ていた。しかし、新庄君はこれに従わず、定位置で守り続けた。肩が強すぎるがゆえに、速すぎる送球が捕手の手前でワンバンしたときに捕手が後逸するケースもあり、相手は新庄君の送球ミスを狙って本塁へ突入することもあった。前に出てノーバンで送球をすれば補殺数はもっと多くなる。そんな考えを伝えるとともに、『ツヨシ、何でベンチの指示に従わないんだ?』と尋ねた。すると、彼は『長嶋サン、ファンは僕の肩を見に来ているんですよ。定位置からのチャージでバックホームで走者を刺す。なのに、前で守ったら走者がホームへ走らないじゃないですか』と言うのです。本塁へ突入させないための指示なのに、ひっくり返りそうになりましたよ(笑い)。普通の考え方じゃないなと改めて思ったわけですが、それくらい彼は、ファンあってのプロ野球ということを意識してプレーしていたと思います。それはメジャーや日本ハムでプレーした時はもちろん、監督になった今も変わっていないなと」 (つづく)
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▽長嶋清幸(ながしま・きよゆき) 1961年、静岡県生まれ。79年ドラフト外で広島に入団。中日、ロッテを経て、阪神でプレー。阪神では98年から2003年までコーチを務めた。現在は、愛知県犬山市で、「元祖台湾カレー犬山店」の店主として日々、カレーを振る舞う。