工藤公康から「妻が『中尾さんのスジネギ焼きが食べたい』って」と電話が
工藤が47歳まで現役を続け、通算224勝を挙げられたのは、栄養士である雅子夫人の食事面のサポートが大きかったと思う。私は、お好み焼きが好きなただの関西人だが、食のプロが出産直後に「食べたい」と言ってくれたのは、悪い気がしなかった。
92年オフ、工藤に誘われて茨城・鹿嶋で自主トレを行った。ここは雅子夫人の地元で、雅子夫人の実家に泊まりながら練習をした。工藤とは密な関係だった。
そして翌93年、私は球団幹部に呼ばれることになる。