先発テストの黒潮リーグで打球が胸を直撃! 救急車で病院に運ばれた
1年目のリリーフは主に右腕の木田優夫と橋本清と石毛博史が務め、左腕のリリーフは手薄だった。だからこそ登板機会もあった。
しかし、翌96年に向けて、巨人はFAで日本ハムの「ゲンちゃん」こと左腕の河野博文さんを獲得した。次から次へと選手が入ってくる中で、自分が生き残るためにはどうしたらいいか、何が必要かをこれまで以上に考えるようになった。
しかし、移籍2年目は開幕直前に二軍へ。そのままシーズンを迎えることに。水野雄仁とともに昇格したのは、一軍の戦力がぐらついた夏場だった。
さて、巨人に移籍して最初に感じたのは、チームプレーの多さだ。春季キャンプではサインプレーとか、細かいプレーに多くの時間を割いた。サイン通りのプレーをできないがゆえに、持てる力を発揮できない選手も中にはいた。
■パの公式戦より多い観客
なにしろキャンプでも観客の人数からして近鉄とはケタ違い。平日でもパ・リーグの公式戦よりもファンの数が多かったほど。近鉄時代は朝、球場に行くと、必ずと言っていいほど散歩に来るおじさんがいて、彼に「おはよう!」と挨拶するところから一日がスタートする。昼間は近所の保育園の子供たちが散歩がてら球場にやって来て「頑張れ!」と声を掛けてくれた。そんな姿に気持ちがなごんだものだ。