まず自分の思いを…巨人3年目の契約更改で「登板機会が欲しい」と訴えた
「このまま、ジャイアンツにいるのはどうなんだね? そっちの方が、キミにとってはいいんじゃないのか?」
巨人に移籍して3年目の1997年のオフ、契約更改の席上、深谷尚徳代表はこう言った。
この年、私の公式戦登板は1試合。それも松井秀喜が本塁打王を争っていたヤクルトのホージーへのワンポイントで、四球をひとつ出しただけでシーズンが終わった。
91年に左肘内側側副靱帯を損傷したものの、周囲の筋肉を鍛えることによって、左肘は回復していた。最多勝を獲得したころと比べてストレートの最速は4、5キロ落ちたが、それでも144~145キロは出ていた。球速が落ちた分、変化球を磨き、投球フォームに工夫を加えた。自分の左腕が打者から見えづらくした。球の出どころを分かりにくくするためだ。
■チャンスがないなら移籍も
96年のオリックスとの日本シリーズでは3試合に登板、その年の首位打者のイチローと本塁打と打点の2冠王になったニールを3試合とも完璧に抑えた。実戦で投げる意欲もそれなりの自信もあっただけに、最初の契約更改では登板機会が欲しいと訴えた。とにかくマウンドに立つチャンスが欲しい、巨人でチャンスがないのであれば移籍も考えていますと。起用法は現場の首脳陣によって決まることは分かっていたが、具体的な査定の話になる以前に、まず、自分の思いを伝えたのだ。