野口みずきは初マラソンVでアジア大会代表に それでも私が辞退させた理由
15日に開幕した世界陸上(以下世陸)のマラソンは男女のエース(鈴木健吾・一山麻緒)と新谷仁美がコロナ感染で欠場するという異常事態が発生。日本人最高位は18日に行われた女子マラソンに唯一出場した松田瑞生の9位(2時間23分49秒)だった。
野口みずきが世陸で銀メダルを獲得したのは2003年のパリ大会。この成績は翌年のアテネ五輪でメダルを取るための必須条件だった。
野口は、92年バルセロナ五輪1万メートル、96年アトランタ五輪マラソン代表の真木和に憧れて、97年ワコールに入社。高卒で筋力もスタミナもなく、5000も1万メートルもさっぱりだった。
ワコールを辞め、失業中だった99年2月の犬山ハーフマラソン(以下ハーフ)の優勝から強さを発揮し、同年世界ハーフで2位となる。
「ハーフの女王」と呼ばれる頃には1万メートルの記録も伸び出し、01年日本選手権3位(31分51秒13)で同年世陸の代表になった。
「92年に真木は日本記録(31分40秒38)を出しても通用しなかった。世陸はやめておけ」
私はこう言ったのだが、野口は「どうしても行きたい」と言う。「行きたければ行け」と私は折れた。