女子陸上のトラックとマラソン「日本は遅れている」 野口みずきの恩師・藤田信之氏が危機感
2004年アテネ五輪女子マラソン金メダルの野口みずきを育てたことで知られる藤田信之氏だが、400メートルからマラソンまで、女子陸上の中・長距離(ジュニアを含む)16種目で日本記録を更新させた指導者でもある。トラックとマラソンを熟知する藤田信之氏に今の陸上界について聞いた。
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──野口みずきの金メダルは大きなインパクトがありましたが、実業団のユニチカ、ワコール時代に指導した選手たちは次々に日本記録を更新しました。
「ユニチカでは河野信子が400、800、1500メートル。ワコールでは、池田真理子が800メートル、松本昌子、石橋美穂が1500メートル、李淳姫は3000メートル、福山つぐみは10キロ、藤原恵は20キロ、久村香織はハーフマラソン、太田利香は5000メートルでアジア記録、後にマラソンに転向する真木和は5000メートルと1万メートルに加え、2万メートルは世界記録」
──さらに、田村育子は1500メートルの日本記録と1マイル走はアジア記録。そして野口のマラソンです。ざっと挙げても、これだけの日本記録が出ていますね。
「昭和30年代は女子の最長種目は800メートルまで。日本選手権で1500メートルが始まったのが昭和44年。そこから3000、5000、1万と、女子も長い距離の種目が出てきた。高卒選手を預かり1~2年見ていると選手の適性種目が見えてくる。だが、当初はインターバルトレーニングをしたら何で効果があるのか、運動生理などの知識がまったくなく、わからんことばかり。安い給料から本を買い漁り、トレーニング法などを勉強したが、読めば読むほどわからん。だから自分の選手当時の練習を女子向けにアレンジした」
──例えばどのように?
「女子の1500メートルだったら、男子と女子の日本記録や高校記録のタイム差から勘案し、これぐらいのペースではと設定。リカバリーの時間も練習中に適宜、心拍数を手動で確認しながらスタートを指示するなど、当初はほとんどが手探り状態。800メートルの選手なら200~400メートルの距離のインターバル走を何本、5000メートルなら400~1000メートルの距離で何本と、種目によって負荷を変えた。トレーニングを積み、1500メートルの選手なら大会前の段階で、1000メートルプラス200~300メートルを、休息を短くして全力で走らせた結果で仕上がりの確認ができ、大会前に次は記録が出るとの感触が得られるようになり、選手には『次は日本記録が出るよ』と言ったら、本当に出るようになった」
「1万メートルでは世界に勝てない」
──女子マラソンは、有森裕子が1992年のバルセロナ大会から2大会連続でメダル(銀・銅)を獲得。シドニーの高橋尚子とアテネの野口は金メダルです。女子のトラックは、97年世界選手権の千葉真子(銅)が最後で、昨年の東京五輪では田中希実が1500メートルで8位、広中璃梨佳も1万メートルで7位。頑張ったが、メダルには届かなかった。
「2人の入賞は攻めの走りが奏功した。日本選手は外国選手についていって最後に抜いていくだけのスプリント力がない。日本選手は距離が短くなるほど世界で戦うのは厳しい。田中はよう頑張ったと思う」
──トラックでは五輪のメダルは厳しいとみて、バルセロナ五輪と93年世界陸上の1万メートル代表だった真木をマラソンに転向させたのですか。
「マラソンはバルセロナ五輪で有森が2時間32分49秒で銀メダルです。このぐらいの時計で銀メダルが取れるのかと思ったら、翌年の世界陸上で浅利純子が2時間30分3秒で金メダル。『1万メートルをナンボやっても世界では勝てん。マラソンをやろう』と真木に言ったら、『私は嫌です。次のアトランタ五輪も1万メートルで出たい』と言う。ところが、96年1月の東京シティハーフマラソンに出たら1時間8分18秒で優勝。ハーフマラソンの日本最高記録(当時)だった。前日までマラソン転向を口説いても『ロードは嫌です』とかたくなだったのに、レースが終わると『マラソンやります』とコロッと変わった。アトランタ五輪の予選会に出るにも、11月の東京国際は終わっているし、2週間後の大阪国際は間に合わない。最終選考の3月の名古屋国際まで急ピッチでマラソンの練習をした。その間に故障もして走れないと思ったが、出場したら初マラソンで2時間27分32秒の好タイムで勝って代表になった。この時の走りを見て、真木に憧れてワコールに入ってきたのが野口です。真木と私の夢は8年後に野口がかなえてくれた」
──7月の世界選手権(米オレゴン)の選考会を兼ねた1万メートルの日本選手権は5月7日(国立)に行われます。注目は、歴代2位の記録(30分45秒21)を持つ19歳の不破聖衣来です。3位以内なら世界陸上の代表入りですが、アキレス腱周辺を痛めて万全ではない。
「スピードランナーにアキレス腱の故障は多い。30分45秒は速いけど、痩せすぎや。154センチで37キロ? 42~43キロは欲しいな。大学で栄養管理はしているだろうが、女子の長距離ランナーや高校駅伝の強豪校では、食事制限し食べたら怒られるところもあった。体重を軽くすれば記録が出ると思っている指導者がいて、貧血治療に使う鉄剤注射を選手に打つ。というより、この注射は血中で酸素を運ぶヘモグロビンを増やすので持久力が高まることから記録向上のために使う指導者が少なくないのだが、鉄過剰になれば臓器障害を引き起こす恐れがある。真夏なのにサウナスーツ着て走らせて、無理やり細くして恥骨骨折した選手も知っている。日本陸連が不適切な鉄剤注射防止のためガイドラインを策定したのは2019年。対応が遅い。女子の生理の問題についても勉強不足の指導者は多い。日本の陸上界は遅れてますよ」
(聞き手=塙雄一/日刊ゲンダイ)
▽藤田信之(ふじた・のぶゆき) 1940年10月、京都府出身。洛北高卒業、京都市職員を経て68年ユニチカ陸上部コーチ、72年監督就任。86年ワコール初代監督、99年グローバリー初代監督、2005年シスメックス初代監督、11年同陸上部顧問退任。現在、日本実業団陸上競技連合顧問。