鹿島アントラーズ監督就任も「寝耳に水だった」
鹿島監督就任は寝耳に水だった
「選手として大きな成功を収めることができないだろうから、きりの良いところで引退して指導者になろう、という気持ちは常に持っていました」と話す石井監督。
古巣・鹿島のユースのコーチ、トップチームのフィジカルコーチや総合コーチなどを歴任して2015年7月15日、大きな転機を迎えることになった。
トニーニョ・セレーゾ監督が成績不振を理由に解任され、監督に就任することになったのだ。
「何の前触れもありませんでした。その日は朝からクラブハウスに行き、監督が前節の振り返りミーティングで使うビデオ資料を作成していました。そこに『今日からチームの指揮を執って欲しい。この場で結論を出して欲しい』と言われました。自宅を出る時には、まったく思いも寄らない事態となったわけですが、その日も練習があるわけですし、試合に向けての準備もしなくてはいけない。フロントが<監督として評価した上でのオファーなんだから応えるのが礼儀だろう>と思いましたし、常日頃から『このチームを良くするのにはどうすればいいのか?』と考えていましたので、自然な流れで『引き受けよう』という気持ちになりました。選手も寝耳に水だったのでびっくりしたと思います」(つづく)
(取材・文=絹見誠司/日刊ゲンダイ)