ヤクルト村上宗隆「三冠王」へ驀進中! 心・技・体から読み解く“村神様”の作り方
「技」由伸のフォロースルー
村上は幼少期、高橋由伸(元巨人)の振り抜く打撃を意識していた。長さ2メートルほどの物干し竿で素振りをしたことがあった。高橋が少年時代にやっていたと耳にしたからだった。
長所は広角に打てること。今季51本塁打の方向別の本数は左方向が17本(中堅11、右翼23)。あの松井秀喜が50本打った際は右翼方向が33本だった。高校時代から選球眼の良さも際立っていたうえ、かつての三冠王である落合博満やバースのように広角に打てれば、本塁打はもちろん、打率、安打数も稼ぎやすい。
原点は中学時代にある。村上が当時所属していた熊本東リトルシニアの吉本幸夫監督は、「ムネの頃に使用していたグラウンドは右翼が85メートルほど。その後ろの民家に打球が直撃したこともある。あまりに飛ばすのでネットを地上13~14メートルまで高く延ばしたのですが、それでもネットを越えていく。『なるべく左中間方向に打て』と指示をしても、約110メートルの中堅後方の小屋にぶち当てるほどでした」と振り返る。
子どもの頃から逆方向へ打つことを心掛けていたことも、三冠王の礎となりそうだ。
■「心」可愛げのあるガキ大将
熊本県で3兄弟の次男として生まれた。野球経験者で不動産会社を経営する父の公弥さんはかつて、こう言っていた。
「私の父が警察官で礼儀やマナーに厳しかった。食事はちゃぶ台を囲んで父が上座に座り、正座して食べた。箸の持ち方に始まり、ご飯は一粒残さず食べるのは当たり前。次男のムネ(宗隆)たち3兄弟を育てるにあたり、礼儀作法がしっかりできる人間になって欲しいと思い、彼らが小学生の頃までは口酸っぱく言ってきました」
一方で、中学に進学して以降は、野球を強制したことはないという。村上自ら望んで野球をやり続け、「男なら一度やると決めたことは最後までやり通せ」と背中を押した。村上から野球の助言を求められることも少なくなかった。
中高時代の精神的成長と“責任感”“マナー”を身に付けた土台があるからか、チームでは先輩からも可愛がられている。恩師である九州学院高前監督の坂井宏安氏も、「物おじしないし、空気を読んでゴマをすることもない」という。試合の際、恩師に作戦の助言をしたことがあったほどだが、坂井氏は「嫌みがなく、可愛げのあるガキ大将」と頬を緩める。
フォア・ザ・チームの精神で負けず嫌い。一軍でプレーし始めた頃は、自分が打てずに負けたときや、1年目のオフに自主トレに誘ってくれた青木宣親やコーチから野球に対する考え方や姿勢について注意を受けたとき、自責の念に駆られてロッカーやベンチ裏で泣き続けたこともあったという。
もっとも、気持ちの切り替えはうまい。「打てたからとか、打てなかったからではなく、毎日変わらず自分のやるべきことをやる」とは、本人の弁。反省すべきことはその日のうちに反省し、翌日に持ち込まない。常にフレッシュな気持ちで試合や練習に臨むことを心掛けている。