曙が述懐した大関カド番の重み「小錦関との一番、あの日だけ休場したかった」
大関からの転落劇は28回のうち70年代が5回、80年代が2回、90年代が3回だったのが、2000年を過ぎて増えた。脱出も含めれば、カド番が常態化している。
落ちたくて落ちるわけではない。その後も懸命に務め、土俵生活を全うした力士は少なくない。「大関互助会」なる言葉があった時代や、公傷制度があった頃との違いもある。だが、大関らしい土俵や稽古を日々積み重ねてこそ、万一の時にファンは祈るような声援を送る。少なくとも、心配しがいのない相撲だけは、取ってほしくない。
▽若林哲治(わかばやし・てつじ)1959年生まれ。時事通信社で主に大相撲を担当。2008年から時事ドットコムでコラム「土俵百景」を連載中。