(2)村上宗隆との邂逅 二軍監督時代に「未来のスワローズの4番はこの男しかいない」と
■「ムネ、やった!」
6番に入った村上はいきなり本塁打を放った。その時、高津監督をはじめ二軍の指導者の連絡グループでは「ムネ、やった!」など、歓喜のメッセージが飛び交ったという。
そして2年目からは一軍に定着。最初は一軍の投手の配球に苦戦を強いられたが、巨人・菅野智之と対戦した時に先輩の青木宣親のバットを借りてヒットを放つと、「感覚をつかめた」と豪快な打撃が見られはじめ、入団2年目で36本塁打を放って新人王に輝く。
翌20年は28本、21年には39本を放って本塁打王、MVPを獲得。進化はとどまることなく、今季はすでに55本の本塁打を放ち、日本記録である60本を追いかけている。
入団時から「将来の4番」と決め、帝王学を学ばせたことが日本を代表する打者、村上宗隆を誕生させた。村上はヤクルトが生んだ傑作である。
(次回は育てながら勝つ)