蝉川泰果も不発…日本選手が海外で面食らい、スコアメークに苦心する決定的な理由
かつてホウライカントリー倶楽部(栃木)で公式戦「日本ゴルフツアー選手権」が行われ、現地を取材した際、設計者のR・ボン・ヘギー氏も大会視察で来場していた。
この時は優勝スコアの通算20アンダーを筆頭に大量アンダーパー選手が続出した。するとヘギー氏は主催者の日本ゴルフツアー機構に、「私はこんなことのためにコースを設計したのではない」と猛抗議した。
日本ゴルフツアー機構が選手に遠慮したのか、4日間ともやさしい場所にピンを切ったことに怒りが収まらなかったのを目撃した。ようするに苦心した設計意図を大会がぶち壊したからだ。
マスターズ会場のオーガスタナショナルGCを設計したアリスター・マッケンジーは19世紀後半のボーア戦争に軍医として出兵し、戦時のカムフラージュ戦術をヒントに、ピンを切るポジションまで想定してアーメンコーナーに代表される18ホールをデザインした。その難しさは開場から90年近くたった今も変わらない。
ピンポジションでもわかるように、わが国にはプレーヤーの技術を最大限に引き出すだけのコースもなければ、試合設定の創意工夫もない。これでは世界に出て行った日本選手が、ゴルフ場に面食らうのも当然だ。