<54>AIとスポーツの共存…「どちらかだけ」ではなく「どちらも」のスタンスで
AIが答えを示してくれることは楽ではあるが、スポーツ選手などは少なくとも自身で感じ、考え、未来への財産にして欲しい。
■「誰がやっても同じ」
指導者側も同様だ。情報が多くなった今、選手は合理的な練習を好むようになった。気合や根性という言葉は“化石”になり、データに基づいた根拠のあるメニューでなければ「なぜそれをやるんですか?」と疑問をぶつけてくることも。そんなとき、指導者は選手を説得するためのツールのひとつとして、練習をしたことによる効果や影響を数値や過去のデータを示す。指導者にとっては、それが一番効率的で楽かもしれない。
ただ、それなら指導は「誰がやっても同じ」ような気もする。機械や映像ばかりではなく、生身の人間がお手本をやってみせることも大事だ。娘が体育の授業でバスケットボールをやったとき、先生がルールを説明することなく「よし、じゃあやるぞ」と言って試合を始めようとしたという。
バスケットボールには「トラベリング」「24秒ルール」「3秒ルール」など多くのルールが存在する。それを知らないまま「やるぞ」と言われても、生徒は困惑するだけ。ファウルの種類を説明した後、教師や経験者が身ぶり手ぶりで教えるのが一番分かりやすい。そういう指導は、AIの及ばない大切な部分じゃないかと思う。