つり名人・若浪が語った技の極意「(相手は)大きいならいくら大きくてもいい」
九州場所で優勝した霧島に、初場所後の横綱昇進とともに師匠・陸奥親方(元大関霧島)が得意技としたつりの継承を望む声がある。記者会見などで聞かれ、師弟ともまんざらではなさそうだ。
先代霧島は幕内518勝のうち53勝をつり出しで挙げている。当時はすでにつり出しやうっちゃりが減っていた。小錦に代表される大型化の影響だと思われるが、昭和のつり名人だった若浪(のち玉垣親方)は現役時代、解説者の神風正一さんとの対談で語っている。
「大きいんだったらもう、いくら大きくてもいいという気持ちですね」
身長178センチ、体重も公称103キロだったが、170キロの義ノ花に14勝4敗で、200キロもある高見山をつり上げたこともある。幕内351勝中81勝がつり出し。白黒テレビで見た平幕優勝も印象深い。
細身なのに「体の自由が利かないから」ともろ差しが苦手で、差し手を抜いてでも左四つになった。まず左下手で強烈に引きつけ、「相手を身動きできなくする」。それから一瞬の呼吸をうかがい、腰のバネに右上手の力を添えてつる。下手が原動力だった。入門当初から師匠の立浪親方(元横綱羽黒山)に、「おまえはつりとうっちゃりだ」と言われ、押しを教わらなかった異才らしい極意だ。大きい相手より自分と似たタイプの方が苦手だったという。