広岡達朗GMが自ら招聘したバレンタイン監督と「内部抗争」に…両氏の考えは正反対、水と油だった
日本初のゼネラルマネジャー(GM)は、私が初めて打点王を獲得した1995年、ロッテで誕生した。
元巨人の名選手にしてヤクルト、西武を初の日本一に導いた名将・広岡達朗さんである。かねて「日本球界にGMは必要」と提唱していて、「日本にはロッテ監督の適任者はいないから」とレンジャーズで監督経験のあるボビー・バレンタインをロッテの監督に招聘した。しかし、これが後に“内部抗争”に発展することになる。
最初から2人の考えは正反対だった。広岡GMは「発展途上の選手が多いので練習で鍛え上げて欲しい」と依頼。しかし、ボビーは「個々の力量が高い選手が多いのに、実力を発揮できていない。チームとしての歯車が噛み合っていない。選手のモチベーションと自信の回復が最優先だ」と返したという。
ボビーのメジャー式の野球は画期的だった。選手の自主性を重視し、春のキャンプの練習は短時間で終了。疲労回復を最優先とした。不安を覚えた広岡GMは、自ら講師となってキャンプ中に内野守備の講座を開いた。マスコミは「GMが現場介入」と騒いだが、守備が得意ではない私にとって、かつて遊撃の名手だった広岡GMが直々に守備を教えてくれるのだから、素直にうれしかった。当時、GMの仕事が何かを知る選手は少なかった。あるいは広岡GM本人もそうだったかもしれない。開幕前になっても一向に上がってこない調整のスピードに「これで開幕に間に合うのか?」とカリカリしていた。