59歳で亡くなったイタリアW杯得点王スキラッチさんを悼む…ジュビロ磐田で日本サッカーを叱咤激励
ところが"トト"(救世主)のゴール感覚は、いささかも衰えていなかった。入団翌年の1995年は、ブラジル代表MFドゥンガの加入などもあり、34試合で31ゴールという驚異的な数字を残す(Jリーグ通算78試合で56得点)。
驚かされたのは、アジリティを生かしたゴールだけでなく、ドリブル突破からのゴールも簡単に決めていたことだった。 スキラッチ=ペナルティーエリア内での1タッチシュートのイメージが強かったが、ドリブル突破で3人のマーカーを抜いてゴールを決めてみたり、サイドからの仕掛けでチャンスメイクをしてみたり、点を取ること以外でもチームに貢献した。
そうしたプレーを目の当たりにしながら、正直なところ「スキラッチが凄い」というよりも「Jリーグのレベルはまだまだ低い」と憂鬱になった記憶が残っている。
当時のJリーグの守備のレベルは低かった。
それを「勘違いしないで自覚しなさい」と叱咤激励し、レベル向上に貢献したのが、スキラッチを含めたJリーグ黎明期の外国人選手たちだったことは間違いないだろう。
Jリーグは今季、開幕31周年を迎えた。功労者スキラッチの早過ぎる訃報に改めてご冥福をお祈りします。