高校サッカー選手権決勝で敗れた流経大柏を見ながら、43年前の帝京の準々決勝敗退を思い出した
筆者は、流経大柏の快進撃に一抹の不安を抱いたものだ。というのも過去の高校サッカー選手権で、大勝したチームがあっさりと敗退した例があるからだった。
昭和56年度(1981/1982年)の第60回全国高校サッカー選手権でのこと。
4度目の優勝を狙った帝京(東京)は、1回戦で高松南(香川)に9-0、2回戦は仙台向山(宮城)に8-1、そして3回戦では高崎(群馬)に7-1と圧勝した。 3試合で奪ったゴールは計24点。まさに攻撃陣が大爆発した。
しかし、準々決勝ではFWの保坂孝や羽中田昌を擁する韮崎(山梨)に0-2で完敗を喫した。 試合後の帝京・古沼貞雄監督は「ゴールを取れるからと誰もが攻めた結果、点は取れたもののオーバーワークになってしまった」と敗因を分析した。
連戦を考慮して、セイフティーリードを奪ったらボールを保持し、体力の温存を図るという発想は、当時の高校サッカー界には皆無だった。
大差のついた試合の連続になったのは、もちろん帝京の破壊力もさることながら、第60回大会は記念大会として参加校の枠が拡大されて「1県1校(東京は2校)」の48校が出場したことも影響したのだろう。