「遠山啓」友兼清治編著
数学研究から数学教育の改革運動へ、さらには障害児教育の研究と実践へ。仕事の軸足を移しながら、その思想と行動は日本社会に指針を与え続けた。遠山啓とは何者だったのか。私たちに何を残したのか。遠山の担当編集者だった著者が、膨大な著作の中からそのエッセンスを抽出し、整理し、論考を加えて、人物像と仕事の全貌をまとめ上げた。
数学者ではなく「数楽者」。身近で遠山に接してきた著者は言う。
「子どもがほんとうに好きだった。自身が、イタズラ心、アソビ心に満ちたヤンチャ坊主だった」
遠山は明治42年、朝鮮に生まれ、熊本で育った。中学時代から数学の魅力にとりつかれ、東京帝大で数学を学ぶが、つまらない授業に幻滅し、自主退学。家庭教師や翻訳のアルバイトをしながら、哲学書、文学書を乱読する6年間を過ごし、26歳のとき、東北帝大で再び数学研究の道に戻った。
敗戦までは隠遁者のように研究に没頭していたが、戦後の解放感と安心感の中で、人間の方を向くようになっていく。
そして、自分の娘が受けている数学教育に疑問を持ったのをきっかけに、数学教育の改革に乗り出し、さらには教育全般の改革へと活動を広げていく。学問と教育、自然科学と人文科学、理論と実践を結合し、「人間と教育における全体性の回復」を目指した。
晩年は障害児教育の実践研究に力を注ぎ、存在そのものの尊さを基盤に据えた教育を構想。競争原理によって子どもを選別する教育に待ったをかけた。教育とは、この世に生を受けた子ども一人一人の可能性を最大限引き出すこと。遠山の視座に立つと、現在の学校教育、そして社会そのものの歪みが鮮明になる。(太郎次郎社エディタス 3000円+税)