「サハラ砂漠 塩の道をゆく」片平孝著
サハラ砂漠の奥地で採掘された岩塩を運ぶキャラバン「アザライ」とともに過ごした日々をつづった新書フォト紀行。
太古の時代、海の底だったサハラ砂漠の奥地で産出する岩塩は、かつては塩の採れない西アフリカ南部の森林地帯で金と同じ重さで取引されるほどの貴重品だった。ニジェール川沿いのトンブクトゥは、北から運ばれてくるサハラの岩塩と南から来る金や象牙、奴隷の交易で栄えた「黄金の都」。西アフリカのマリ共和国には、16世紀から変わらぬ採掘方法で塩を切り出すタウデニ鉱山から、砂漠を越えてトンブクトゥに運ぶ塩の交易が今も変わらず続いているという。
1970年、アザライの存在を知った著者は、長年、その機会をうかがってきたが、タウデニは外国人の立ち入りが禁止された地域で、33年後の2003年にようやく実現した。
トンブクトゥを起点にタウデニ鉱山まで片道750キロ、往復1500キロを、ラクダに命を託し、ガイド兼コックとラクダ使いの2人(写真①)とともに旅した42日間の記録だ。
アザライがどのようにタウデニまで行き、塩を持ち帰るのか、その全行程に密着するのが旅の目的だったが、その計画は出発から頓挫。ガイド兼コックのアブドラは、著者の意図を理解せず、砂漠でアザライを探して合流するという。
不安を抱えながら始まったサハラを北上する旅は、2、3時間歩いては、1、2時間ラクダに乗るを繰り返し、1日に50~60キロ進む。ラクダの機嫌が悪ければ、高さ2メートルの背中から振り落とされてしまう。
砂漠に入ると、野ざらしのラクダの死骸や、砂で洗われた人の頭蓋骨(写真②)が道標のように現れ、旅の過酷さを暗示する。
10日後、ようやく50頭のラクダを4人で率いるアザライと出会い、合流する。この先は、草が少なくなるため往復分のラクダの餌を2日がかりで刈って、再び旅が進む。
そして19日目にようやくタウデニに到着。復路は「バー」と呼ばれる1枚30キロ以上もする板状の岩塩が、ラクダ1頭に4枚も積み込まれ、旅はさらに過酷度を増す。
砂漠を行くキャラバンや、小用のために離れただけでテントの位置が分からなくなるという夜の漆黒、ラクダの糞を燃料にした食事の風景、そして岩塩の採掘風景(写真③)や労働者のポートレートなど、さまざまな写真とともに、21世紀とは思えない原始の旅を克明に記す。
砂嵐や指の骨折などアクシデントに耐え、旅を終えたときには栄養失調で骨と皮だけになっていたという。
この塩の道は、テロ集団や先住民族の武装蜂起によって、今は再び閉ざされてしまったそうだ。広大な砂漠をひたすら進むアザライの旅を伝える貴重な記録だ。(集英社 1300円+税)