「龍馬を守った新撰組」加治将一氏
今年は坂本龍馬の没後150年。そして来年は、明治維新150周年ということになる。幕末維新史は、歴史好きか否かを問わず、多くの日本人の頭に刷り込まれているものだが、実はのちに作られ、歪められた内容が多分にある。
「幕末に活躍した新撰組といえば、かの有名な鉄の戒律『局中法度』は誰もが知るところですが、残念ながらこれは架空であり存在しないんです。作家の子母澤寛が1928年に発表した『新選組始末記』などの中でひねり出したもので、新撰組の生き残りの隊員である永倉新八、斎藤一、島田魁の3人も口にしていません」
創作読み物はこれでもよいが、その後の歴史本が局中法度をはじめ脚色されたヒーロー像をそのまま史実の領域に引っ張り込んだことが問題であると著者。本書ではさまざまな史料や状況証拠をもとに、固定化された幕末維新史を新たな切り口で考察している。
たとえば、京都守護職の会津藩に属していた新撰組と局長の近藤勇にとって、大政奉還を構想した坂本龍馬は敵であったとされ、龍馬暗殺の実行犯にも挙げられてきた。しかし本書では、まったく逆の説を唱えている。近藤はむしろ龍馬の同志であったというのだ。新撰組は、唯一の徳川温存策である大政奉還の推進者で幕府お目付け役の永井尚志に仕えていた。永井は近藤をいたく気に入り、また近藤は徳川慶喜のボディーガードに推薦されても、自分は永井の家来であるため二君に仕えることはできないと断っているほどだ。
「龍馬は永井と頻繁に会い、大政奉還について話し合っている。永井と龍馬が立場を共にしているのは、ヒタ同心(心の通った同志)として龍馬が永井につづった手紙からも明らかですね。永井と行動を共にしていた近藤もしかり。土佐藩参政の後藤象二郎も大政奉還を推進したヒタ同心のひとりですが、永井は近藤と後藤を引き合わせ、ふたりは意気投合している。大政奉還が成立する前月に後藤から近藤に届いた手紙の中には、“大政奉還の建白書の件で忙しくなかなか会えずに残念だ”という旨の内容がつづられています。このことから、近藤も大政奉還の詳細について打ち明けられ、ヒタ同心に共鳴していたことが読み解けるのです」
つまり、新撰組が龍馬を暗殺したなどという説はもってのほかであり、むしろ武力革命路線の薩長から龍馬を守っていたと考えられると本書。そのことは、現代では新撰組の内紛として片づけられている油小路事件の詳細からも推測できる。
「元新撰組参謀であった伊東甲子太郎率いる御陵衛士が新撰組によって闇討ちに遭った油小路事件は、御陵衛士が近藤勇暗殺を企てたことが原因とされています。しかし、わずか15人の御陵衛士で200人を超える地獄の軍団新撰組の局長を狙うほど、伊東はバカじゃない。伊東が生粋の尊王攘夷派であったこと、生き残りの御陵衛士が薩摩藩邸に逃げ込んだこと、龍馬と近藤が同志だったこと、そして油小路事件が龍馬暗殺3日後に起きたことなどから、近藤勇による龍馬の敵討ちだったと考えるのが自然だと私は思っています」
ほかにも、勝海舟が師弟の強い結びつきで知られる龍馬との関係をバッサリと切り捨てていたこと、金食い虫といわれてきた新撰組が逆に会津藩のATMであったこと、そして新撰組による大量粛清の黒幕など、これまでの常識が覆される強烈な新説が満載だ。
「幕末の志士たちは、現代の政治家よりもずっと賢く、ズルく、やり手だった」と語る著者。歴史好きほど、読後の衝撃は大きいはずだ。明治維新150周年の前に、もう一度幕末維新史を見直してみては。
(水王舎 1600円+税)
▽かじ・まさかず 1948年、北海道生まれ。アメリカでのビジネスを経て、帰国後執筆活動に入る。明治維新の裏面を描き、坂本龍馬殺害犯に迫った「龍馬の黒幕」はテレビで3度映像化された。「禁断の幕末維新史」「西郷の貌」「幕末戦慄の絆」など著書多数。