「原爆」石井光太著
陸軍特務機関の一員だった長岡省吾は、除隊後、中国で地質学鉱物学研究所を開設して天然資源の調査研究を行っていた。原爆が落とされた後、実家のあった広島に入り、神社で原爆の熱線で溶解した灯籠の土台に目を留めた。石が血を流しているように見え、「石についた被爆の跡を調べれば、原爆が発した熱線や爆風、それに爆心地が明らかになるにちがいない」と変形した石を拾い集めた。その後、日本政府の原爆調査に加わる。
そんな長岡に広島市長、浜井信三が声をかけた。浜井は復興都市計画の中で、原爆の実態を知らせる施設(広島平和記念資料館)を造ろうとしていたのだ。
「75年間は草木も生えない」といわれた広島を復興させた人々を描く。(集英社 1600円+税)