「『君たちはどう生きるか』に異論あり!」村瀬学氏
「今、大ブームになっている吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』は、私も若い頃に読みましたが、良くも悪くもさほど印象に残っていませんでした。それが最近、資料の一環として読み返したところ、あれ? と疑問に思うところが出てきたんです。しかしながら、これだけ大勢の人が読んでいるのにひとつの疑問も批判も出ていない。ダイジェスト版である漫画(漫画/羽賀翔一)だけで原本を読んでいない人も多いらしく、称賛だけで終わって本当にいいのか、と筆を執ったんです」
本書は、昭和12年に「日本少国民文庫」に収録され、現在、漫画が累計200万部を突破した大ベストセラー本「君たちはどう生きるか」に描かれる重大な問題点を指摘した、初の異論本。
旧制中学2年生の“コペル君”こと本田潤一が、日常生活で直面するさまざまな問題について、母方の叔父の助言を得ながら成長していくという物語だが、本書では物語に潜む論点のすり替え、また時代背景が与えた影響、漫画本と原本の描かれ方の違いまで踏み込み考察していく。
物語は冒頭、コペル君がビルの屋上から街を見て「人間って分子みたいだ」と語るシーンから始まる。
「私が違和感を抱くのは大きくは2つ。そのひとつが、冒頭のコペル君の感想を叔父さんが科学的だとたたえる『人間分子観』です。物語に通底するものの見方にもなっているのですが、実はこれは科学的社会主義の見方。つまり人間を生き物ではなくモノや駒だと見る発想なんです。言うまでもなく人間は、目と口と尻を持ち、世話をしないと生きていけない生身の存在なのに、上から見下ろす“人間分子観”はそれを希薄にさせます。その感覚の延長にあるのが戦争であり、現在でいえばいじめ、拒食、無理なダイエットなど。そうした人間観を蘇らせては絶対にいけません」
かつて社会主義の文化圏において人間を分子と見なすのは科学的で実用的だとされ、党の命令で行動する駒=分子と呼ばれてきた。「君たちはどう生きるか」が出版された昭和12年当時には、若者に科学的思考を身に付けさせたいという国家の思いがあったのだろう、と著者は指摘する。
それを踏まえ「君たちは――」を見直すと、コペル君の叔父さんが「科学的社会主義」の代弁者として登場していることや、ナポレオンを英雄視する5章に至るまで一本の線でつながっているのが見えてくるから面白い。
「もうひとつの私の違和感は、力への過信です。武力や親の財力に頼って解決してきたシーンが多く描かれており、たとえば『雪の日の出来事』の章もそのひとつ。コペル君の同級生で腕力のある北見君を、上級生とケンカになったらコペル君ら3人で守ろうとする様子が描かれています。美しい友情の場面のように読んだ人は多いかもしれませんが、この強いものを弱いものが守る構図は作品のあとに始まる太平洋戦争で見る光景そのもの。コペル君が恐れをなして参戦できなかったのはむしろ当然のことで、大事なのは、どうすれば力に頼らず解決できるかを考えることではないでしょうか」
著者は決して作品のすべてを批判しているわけではない。当時の社会情勢を知らずして読まれていることや、ひとつの議論もないことを危惧しているのだ。
「書評の大家・鶴見俊輔氏が絶賛したものだから、批評しにくいのかもしれませんね(笑い)」
漫画では意図的にカットされているが、原本では最後に仏像の話が出てくる。
「コペル君の上から見る目に対し、横から見る目としての等身大の仏像を対比する話と読み取れるのですが、非常に唐突感がある。恐らく原作者の吉野氏が無意識のうちに『横からの目線』の必要性を感じたからでは、と思いますね。結局のところ『君たちはどう生きるか』は、これをどう考えますか、という問い。ぜひ議論してほしいですね」
(言視舎 1300円+税)
▽むらせ・まなぶ 1949年、京都市生まれ。同志社大学文学部卒。現在、同志社女子大学生活科学部特任教授。著書に「初期心的現象の世界」「なぜ大人になれないのか」「次の時代のための吉本隆明の読み方」「いじめの解決 教室に広場を」ほか多数。